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胸元にのこる傷痕はまだ消えない [自作小説]

(7話目/8話)

「・・・・・・何してんだ?」
「いや。体を舐めまわすように見てたから、ちょっと危ないかと思って」
「その用心深さをあの日に発揮しろよ・・・」
 縄でぐるぐる巻きにされた手首は、やっぱり軽くしか縛られていなかった。


 飄々としているように見えて、どこか危うい雰囲気にこの時の俺が気づいていたのか、今でも自信はない。
 けれど何かがこの話を素通りさせてはいけないような気にさせた。
「そんなことより、マジか?」
「何が? それより『そんなこと』で済ませてしまえるってことは、これ結構お気に入りなのかい?」
 これ、と言い縄をふりふりさせる。
 俺がSMの趣味でもあるっていいたいのか。
「んなわけあるかっ」
「そこで律儀に答えてくれるっていうのが、君のいいところだよね」
 よいしょ、とそこらに散らばっていた洗濯物を洗濯機に収め、洗剤を目分量でさらさらと流し込んだ。
 ゴトゴトと音を立て始めた洗濯機の前で、案外新しい道が開けるかもしれないよ? と聞こえてきた言葉に、
 まだSMを引っ張るのかと無言のまま白い目で見ると、冗談だとすぐさま訂正される。
「・・・・・・小さい頃にね。ちょっと」
「ちょっと?」
 ここで大人ならば空気を察して話を切り上げるべきなのかもしれない。
 けれど俺は話をやめたくない程度には、碓井に興味があったらしい。
 話をやめようとしない俺に、出来の悪い生徒に懇切丁寧に教える教師のような顔で、碓井は苦笑した。

「私が・・・そうだね。小学校に入るか入らないかくらいに両親が借金を背負ってしまったんだ。
 連帯保証人ってヤツだよ。財産放棄できないように圧力欠けられてるし、
 組に対抗できるお金も力も心の強さも無かった両親は・・・」
「自ら?」
「いいや。諦めが悪かったんだね。父親はいわゆる過労死。母もその類で体を壊して衰弱死ってところかな」
 何もいえなかった。
 だって、自分はそんな風にして巻き上げた組の金で生きてきたうちの一人だ。
 自分でしたわけじゃないとはいえ。
 そうやって開き直っていい問題かは、どうともいえなかった。碓井の立場からは、許そうとは思えないだろう。
「だから、両親の記憶は殆ど残っていないんだ。
 親類の家に一時世話になったけど、すぐに施設に入ったから、頭の回転がついていかなかったんだろうね」

 まるで他人事のようだった。
 しかしその口ぶりで何となく分かった気がした。こいつのこの性格は一種の処世術なのだろう。
 どこか斜に構えて、物事が通り過ぎるのを待っているような、
 全てを見ているだけで済ますような、そんな雰囲気がある。
 でも、それでいうなら俺はどうなる?
 いかにも過去を思い出させそうな傷だらけの俺に、包帯を差し延べた、こいつの行動は一体なんだ?
 俺は知らず知らずのうちに言葉に出してしまってたらしい。
「私は、きっと仲間がほしかったんだろうね」
 その言葉が切欠のように、目の前にある機械からピーとエラー音がなった。

「ああ、まただ」
「・・・・・・何事?」
「これね、すぐフィルターが詰まるんだよ。
 ランプが付くんだけど、それで動きが止まるくせに、外して確認してみたら
 そんなに糸くずとかがついてなかったりして、面倒なんだよね」
「わざとか疑いたくなるな・・・」
「何がだい?」
「いや、別に・・・」
 じんわりと出てくる汗を拭いながら、俺は先を促した。
「それで?」
「ん?」
 未だ残暑残る部屋で、扇風機を回したまま熱い茶を飲むという。
 どういうことかなんとも奇妙な構図で、俺たちは向かい合っていた。
「仲間って、どういうことだ?」
「ああ、それね」
「それだ」
 碓井はふう、と溜息のような、茶を冷ますような息を吐き出すと、ゆっくり唇を湿らせた。
「私はね。ずっと兄弟が、欲しかったんだ。
 もちろん施設にいたから皆兄弟ではあったんだけど、やっぱり、違うだろう?」
 言っちゃ悪いが、他人だ。いくら心を許せる相手であろうと。
「喧嘩して、世話焼いて。兄か姉か友達か、親代わりになるか・・・自分の中で変なこだわりがあってね。
 ようするにいずれ離れていくのだという諦めが、ずっと捨てきれなかったんだよ」
「それは・・・」

 当たり前だ、と言いかけて、俺が言うべきことではないと判断した。
 それくらいの空気は読めるつもりだった。
「でもね。最近ようやく慣れてきたんだ。別れとか、出逢いとか、人というものにね」
 社会の世知辛さってヤツもね、と陰りを帯びた顔をする。
どうにもフォローし難く感じていると、なんちゃってと舌を出されてしまった。
「そうしたら、余裕が出来た。そうしたら今度はまた寂しくなった。
 物理的でもいいし、精神的でもいい。傍にいてくれる人が欲しいなって。
 そうしたら、ぼろぼろの君が座り込んでた。
 びっくりしたけど、出来の悪い弟を見つけたみたいで嬉しかったな」
「出来が悪くて悪かったな」
 碓井はくすっと笑った。
「馬鹿にしたわけじゃないんだけど。そうやって憎まれ口を叩くところも、やっぱり似てるよ」
 波長が合うっていうのかな、そう言って碓井は嬉しそうに茶菓子の羊羹をかじった。
「やる」
「ええ?」
「羊羹。俺甘いの好きじゃねえんだよ」
「・・・そうなの? じゃあ、遠慮なく」
 まぐ、と頬張る姿は小動物に見えた。
 頭を振って思考を戻し、聞きたかった疑問をようやく口にする。

「なら、お前は今幸せか?」
「幸せだよ」
 即答だった。
 これが羊羹を食べていたために発せられた反射解答だとは、知る由もなかったが。
 嬉しい事があるたびに、『幸せ』。支えにするように頻繁に口にしてきたのだと、後から知ることになる。
「たかが知れてるOLの給料でも? 食い扶持が一人増えた、今の状況でも?」
「ああ、そういうこと・・・うん、そうだね。ねえ、君。
 私は君よりも人生経験が長いから、言う権利はあると思うんだ。だから言うんだけど・・・」

 意外と人生、楽しいもんだよ。
 碓井はお馴染みのようにニヤリと笑った。
 多分、俺はこの表情を含めた光景を一生忘れないだろうな、なんて。漠然と思ったのだった。

 

 

お題提供 月と戯れる猫

 


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